Talk, to talk

暖かくなってきた。
春が来たなぁ~と実感する今日この頃。
春…?
ナニカ大事なコトが…春…春が来て…(ちりん)ぶふぅ(謎)。

何気に百円ショップへ行くたびに鈴の付いた髪留めを探してるワタシ。
病気ですか? 病気ですね。 逝ってきます(ドコへ?)

昨晩なんとなしに Talk to Talk 始めて。
大竹冴子 嬢狙いでいったら白倉素直 嬢ルートに入ってしまって。
まぁええわとフツーに進めてたらあっさりキャラエンド。

で、読んでる途中に思ったんだ。
「あれ? 俺、泣いてないな」って。

そういえば、最近は嗚咽を漏らして泣いたりすることがない。
っていうか、昔は何であんなに泣けたんだ? と思って。
自分が書いた[Stupid](邦題:エロゲバカ一代)を読み返してみた。
まぁ、旧日記(誰ガ為ニ俺ハ泣ク)時代のは抜かして…。

あの時代は、それこそ一言一句逃さぬぐらいの勢いで読んでいたんだなぁ。
結局、それが感情移入ってものに繋がっていたんだろう。
何よりもじっくり読める時間と環境があったからねぇ。
それは言い訳だな。
環境はまだしも、時間なら今でも十分にあるはずだし。

ストーリー展開、人物関係、台詞、曲名、果てはタイトルまで。
ありとあらゆる部分に推察と想像を巡らせて。
物語の持つ主題ってものを考えようとしてたのに。
そーいう作業(?)をしなくなっ…。

あ!
そうか、そうだったのか。
俺は泣けなくなったんじゃないや。
泣かなくなってただけだ。

いつの頃からか、泣かされることを期待していたんだ。
自分の意志とは関係なく、良いストーリーを読めば勝手に感動すると思ってたんだ。
感動しない。
泣けない。
それはストーリーが、文章が弱いのだと。

そうじゃない。
だって感動ってのは与えられるものじゃなくて、自ずとわき出るモノなんだ。
そりゃもちろん感動する「何か」は外から与えられるモノなんだけど。
それに対して思い考えるから、感動するわけで。

ある「言葉」にどれだけ感動するか、じゃなくて。
どれだけの「言葉」に思いを巡らせるか、なんだ。
だから、ありふれた言葉でも。
『毎日、鏡の前で一生懸命練習したんです』
そんな、なんでもない言葉にさえも。
ココロを打たれ、そして俺はそんな言葉を。
素敵ワードと呼んでいたんじゃないか。

そもそも、この退屈な日常でさえ。
目をこらしてみれば、新たな発見と感動で満ちているというのに。
感動を生み出さない物語なんてあるはずがない。
もし何も響かないというのであれば、それは
「心のどこかが病んでいる」((c)比古清十郎)
ってことなんだろう。

作品を作るって、スゴイ大変なことなんだと思う。
どれだけのエネルギーと時間がかかるのか、正直俺には想像もできないけど。
受け取る側の俺は。
それの何十分の一かでも、考える努力をしなきゃなぁなんて思いました。

以上。
縷々綿々 句案にふけりし 夜半の春かな

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