思ひがけず


あまりに突然でなんだかよく分からないが、生徒からプレゼントをもらった。

そもそものいきさつは、今日が誕生日だった先生がいて、ある生徒Aが、その先生へのプレゼントを買いに行って、それについていった生徒B(俺が数学を担当つーか数学しか受講してないけど)がついでに俺にも買ってきてくれた…のかな。ほとんど推測。


中身はホワイトボードマーカーと、修正テープ(の詰め替えカートリッジ)でした。

教室にもホワイトボードマーカーはあるんだけど、それはちょっと太めなので、俺は自費でマーカーを買ってる。写真にある「サクラ白板マーカー」@1本98円。ボールペンなんかと違って、残量が見て分からないから、授業で使ってる最中に寿命を迎えたりする。特に黒と赤は消耗が激しく、講習中だと1ヶ月も経たずインクが切れる。そういうときは、他の色のペンで代用したりするんだけど…。

そんな俺の授業を受けているが故かわからんが、なかなかに実用的で気の利いたセレクトだと思った。アメ・ガムの類をくれる生徒は結構いるけど、こういうプレゼントを生徒からもらったのは初めてなので、正直すげーうれしいっていうか、少しはしゃいでしまった。

せっかくペンを貰ったけど、今使ってるペンは最近買ったから、今月いっぱいは十分保つんだ。だから、これは封を切らないでおくね。ありがとう。

何かお返しをしなきゃなぁ、と考えて、あんまりのんびり考えてる時間も無いことに気が付いた。このコの3月最後の授業はいつだろう。確認しておかなきゃ。


でも

「佐藤先生は今いくつ?」
「ヒミツだ」
「33ぐらい?」
「…他の生徒にも同じこと言われたよ(泣)。違うよ」
「え~、じゃあ…」
「ちなみに、そこまでいってないよ」
「うそぉ!?」
「うそってなんやねん」
「え、もっと上なのかと思った」

il||li _| ̄|● il||li

っていうかまだ20代だと言ったときのお前らの反応はいったい何なんだ。世の27才は、10代半ばからは30前半に見えるのか?27 + (27 – 14) ÷ 2 = 33.5 みたいな公式でもあるのか?それとも俺だけ33才に見えるのか?


最近、デジカメで動画を撮るのにはまってる。写真ってのはある意味一発勝負で、シャッターチャンスを狙わないといけない。で、生徒の写真を撮ろうとすると、みんな嫌がる。フォーカスを当てる前に逃げるのだ。ところが動画にすると、結構みんな諦める。もう撮られてるの? じゃあいいや的な感覚があるんだろう、と思われる。

何より動画には音が入る。これが意外に良い。口調や言葉遣いは割と記憶に残っても、声はなかなか思い出せない。

こないだ生徒に言ったのは「人間って、覚えようと思ったことは何とか覚えられるんだけど、悲しいことに、忘れることに関しては選べないんだよね。忘れちゃいけないこと、覚えておきたいことはすぐに忘れてしまうのに、どうでもいいこと、忘れたいことばかりずっと覚えてる」

でも実は、忘れてしまうことなんて一つもなくて、ただ思い出すことが少なくなるだけなんだと思う。ってのは、ホットマンきたがわ翔の受け売りなんだけど。さらに付け加えると、思い出すことが少なくなると、なかなか思い出せなくなるんだと思う。それでも、Deleteされるわけじゃないから、何かのきっかけさえあれば、記憶はよみがえる。黄泉返るん♪

きっかけは、言葉だったり音楽だったり、あるいは仕草だったり。俺にとっては、この『俺色7days』も一つの起爆剤。読み返せば、記憶が鮮明によみがえってくる。

でも、ここに書けるのは、あくまで俺個人のことだから。いや、別に書いたところで、読んだ人がその対象を特定することは無いだろうし、対象になったやつもここを見ることは無いだろうから、いいっちゃいいんだけど、なんかそれは俺の中の暗黙のルールっつーか。切れ端みたいな読み物の中で、俺だけが実像で、他の登場人物は虚像。ノンフィクションの中に在るフィクション。そういうスタンスで書いているんだよね、実は。

だんだん逸れてきた。あいまいだった境界線が日に日に濃くなってくるんだよ。刻々と、酷なほどに。日々は続いていく。望まなくとも明日は来る。

また少し話題が変わって。生徒にとって塾の講師ってなんだろうね。今日、授業終了後にそんな話が少し出てね。

一週間168時間のうち、ほんの数時間だけ定期的に顔を合わせる。多分彼らは、俺について名前以外の何も知らない。俺は、いわゆる進学塾へ通った経験がないから、彼らが俺に対してどういう思いでいるのか、まったく想像できないんだけど。これから先のとても長いスパンで考えたら、取るに足らない存在なんだろうと思う。

でも、俺にとって、生徒の存在はとても大きい。たとえ恣意的な自己満足であっても、彼らと接することで喜びを感じられる。昔は不満だらけだったけどね(笑)。この日記でも、割に合わないと何度書いたことか。それがいつの間にか、変わっていったんだよね。割に合わない、つまり時間や金銭的にマイナスなのはしょうがねぇ。子が親を選べないのと同じで、下々の者はお上を選べねぇ。システムが変わらないんだったら、この際マイナス1でもマイナス10でも同じじゃねーかと。だったら、俺がマイナス100になる代わりに、担当する生徒がプラス100になってくれたらそれでいいじゃねーかと。

カネが貰えないなら、その代わりにあいつらの笑顔を貰おう。きれい事じゃなくて、本気で。いつかの講師研修でも、レジュメに書いた。ちょっと待ってて、今探すから…あった。

最後に、生徒に実感を与えましょう。「出来ない・分からない」から「出来る・分かる」にすることが講師の(a.使命 b.役割 c.本分 d.義務 のうち最も適する語を選択)です。「今日は○○が出来るようになった」という手応えを与えることが出来れば生徒は喜ぶでしょうし、学習意欲の向上にも繋がるでしょう。それが積み重なっていけば、諦めずに考える姿勢に繋がっていきます。そして何より、「つかんだ」生徒は実に良い表情をします。佐藤先生はこの表情を見るのが病みつきだそうです(笑)。まぁ、それはともかくとしても、家庭報告書の生徒コメントに「わかった」「できた」の一言が書いてあると嬉しいですよね。

そういえばこんな文書も作ったなぁ…(´ー`)。ファイルの日付は2003年8月29日。ずいぶん前だなぁ。

って、そんな感慨に耽っとらんで、自分。

まぁなんだ。無い物ねだりってあるじゃん。隣の芝生は青い、とか。今はそれに近い心境だと思うんだよね。当たり前が当たり前で無くなるから、当たり前が当たり前じゃないんだよね、俺にとっては既に(倒置法)。全てが掛け替え無い。だからこそ、出来る限りで動画に収めてしまえ、って思ってるんだけど。

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