あんとんねー

沖縄弁では「なんくるないさ」だったかと。
詳しくは房州弁 – Wikipediaで。

つーか「現在では廃れている言葉も多くある」ってのが哀しかった…。

なこたぁ、どうでもいいけんが。

ハラをククった。
成るように為れ、成るようにしか為らん。
それこそ、鷹山公の言葉にある通り。

為せば成る
為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の為さぬなりけり

Do my best。
後は、Let it be。

仏の教えが、その言わんとする意味が。
今になって分かったよ。
まぁ、当の仏は、俺にそんなことを言った記憶が無いかも知れないが。

正しいことをしていれば認められる。
その正しさってのは、人として、日本人として、社会人として、会社員として。
実際、上の人間は、正しいことを言うし、何が正しいかを分かってる。

それと、もうひとつ。

いつ裁判になってもいいように。
自分の正しさを証明するエビデンスは残しとけ。

親しき仲の遠慮じみた礼儀は捨ててしまう自分です、が。

今思えば。
千尋の谷に突き落とされた羊に「ファイトー、いっぱーっつ!」ぐらいな感じで手を差し伸べてもらい。
ときに、軟禁されて衰弱してた猫を「猫の手も借りたい」と引っ張り出し。
仕舞いには「生中一杯っで買収されてくんない?」って、魅力的な債権と債務を与えてくれた。

そのおかげで、今の自分がいる、今みたいな自分がいる気がする。

面と向かっては言えない、言わない、言いたくもない。
でも言葉にはできる。
ありがとう。

それは、仏だけじゃなく、みんなに。
仲間に、俺を仲間だと思ってくれてるみんなに。
感謝です。

だからこそ、前みたいなことにはならない。
もう既に色々と心配かけてるけれど、あの時みたいにはならない。

責任が取れないからこそ、精一杯やる。
それでダメなら仕方ない。
失敗だったって認めて、全て明らかにして、踏み台にすればいいさ!

ま、「俺のどこがダメだったんですか?」的な証拠は残しておきますけど(w
そのぐらいの『ふてぶてしさ』は身につけたさ(・∀・)

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