ホワイトボード

今日は23時に退社。
風呂上がりに鏡で自分の顔を見たら、
確かに疲れてる感じがした。
特に目が。

午後の打合せでホワイトボードを使いながら
仕様(仕組み)についてあーだこーだやったんだけど。
もともとそーいう才能があるのか、
塾講時代に鍛えられたのか分からないけど、
俺はボード使いながら説明をしたり、相手の言うことを
描く(まとめるでなく)のが得意らしい。

もっともそれはホワイトボードでなくても良くて、
自分で考えるときは普通に紙と鉛筆だったりする。

言葉というモノは便利だが、それは所詮後天的に訓練により
身につけるモノであり、イメージ(頭の中にあるモノ)
共有するためのツールでしかない。
そのツールをどのぐらい使いこなせるかは個人差がある。

イメージを目で見て直感的もしくは直観的にわかる形で描く技術。
もちろん補助的に言葉は使わざるを得ないのだけれど、
そーいうことが出来るかどーかってのは、複数人で同じアタマ
(認識の共有)を持つためには、とても重要なことだと思う。


『分からない』ことと『知らない』ことは全く違う。
『分からない』ままでいるのは本人に問題がある。
が、周りは聞き方や調べ方を教えてあげるべきだ。
『知らない』ままでいるのは周りに問題がある。
知り得ぬコトは語り得ぬコト。
語り得ぬコトを聞いたり調べたりすることは出来ないからだ。

理解しているかどうかの前に、未知か既知かの判断は、
既知である人がチェックしなければならない。

そんな、塾講やってた頃には当たり前に持っていた感覚を、
今頃になって思い出している。
そういう『目』を持っている人が組織にどれだけいるか。
それはそのまま組織全体のチカラがどれぐらいか、に直結していると思う。

未知であることは失敗や損失に繋がるからだ。


分かりにくいだろうが、ナニゲに愚痴である(笑)。

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