『幸せ』と呼んでみよう

ここ数日のこと。(ついに日々更新を諦めた)

火曜日は県庁での打合せでアノ電車だった。テスト勉強するちぃを見ながら、前日の就寝時刻が三時だった俺はZzz…もったいない。

水、木はず~っとプログラム作ってた。自惚れるが(笑)、アレを2日で作るって、ありえねーぞ。仕様もねぇし。まぁ、久々にコード書けたんで楽しかったです。

木曜の午前三時頃、はっと目が覚めた。あー、内容全然覚えてないけど、でも今のは確かにはるの夢だったなぁ。また何かの報せかなぁ…何でもなきゃいいんだけど。などと思いながら寝直した。

今日。また県庁で打合せだったから、アノ電車に乗ったけど、ちぃは乗ってなかった。まぁ、こーいうこともあらーね。

ゼニカネの問題は、営業と話してください。自分は、木訥(ぼくとつ)なシステム屋です。自分が考えるのは、許されたリソース(資源=金・人・時間)の中で、どうしたら、ユーザにとってより良いシステムになるか、その一点なんです。

『誰が為に、それが自分の為に(タガタメニ、ソレガジブンノタメニ)』。根底にあるモノは、塾講してた頃となんら変わっちゃいない。むしろ塾講として、客(生徒)の笑顔とダイレクトに接してきた分、その思いは同僚含め同業者の中じゃ半端ねぇと思われるよ。それが裏目に出ちゃうコトもあるたぁ思うけどね。リソース不足とか。

それにしても…。茂原→千葉→大宮→茂原。なんだこの移動距離。バカげてる。別に大宮じゃないと出来ない仕事じゃないんだから、ってかPCさえあればどこでも出来るんだから、地元で仕事させろよ。

って、隣村にマイホームを持つ上司といつも愚痴ってる。

毎日のように解決しなきゃいけない問題があって、脇目もふらずにソレと向き合っていたら、いつの間にか週末になっていた。

ずーっと音楽を聴きながら、帰りの電車に乗ってきたんだけど。

なんとなく思った事がある。

もし、今、隣に死神が立って。「お前の命、貰っていくよ」って言われたら。少し考えた後で、「わかった。いいよ」って微笑みながら答えてしまいそうだな、って。

いや、まぁ、死神ってのは、アレだけど。数秒もしくは数分のウチに、抗いようもなく一瞬で自分の時間が止まるとしても、今なら、あんまりジタバタしねーんじゃねぇかな。

もちろん、もっと見たいモノやりたいコトはたくさんあるけど。

あるんだけど。なんか、今って、今までに無いぐらい、沢山のモノを持ってるし。過去に属する想い出だったり、未来に属する希望だったり、現在に属する色んな繋がりだったり。

俺、つまり佐藤/佐藤クン/佐藤サン/佐藤先生/佐藤ぱぱ/ぉ父さん/ぉとー/ぉ㌧と呼ばれる人物が、突然にこの世から居なくなってしまったら。

「えっ!?」って思う人が、思ってくれる人が、けっこーいるんじゃないか、だいぶ増えたんじゃないか、って。それって案外、幸せなコトなんじゃないか、って思って。だったら、幸せを感じたまま時間が止まるってのもまた、ある意味で幸せなコトなんじゃないか、って。

まっ、まだ殺しても死なないけどね(笑)。あと20年ぐらいゎ。

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